心が疲れたなと感じたら、歩く瞑想で今この瞬間の自分に立ち返る
「歩く」ことがいかに素晴らしいか
GoogleやIntelなどの有名企業が研修に取り入れていたとして最近よく耳にする「マインドフルネス瞑想」。”今”という瞬間に気づいていく力を養う瞑想法です。その中の一つに「歩く瞑想」があります。ただ静かに、今ここに意識をむけて歩く。皆さんは意識的に歩いたことはありますか?
私たちはほぼ毎日歩きます。歩こうと思った瞬間、体は勝手に動いてくれるので私たちにとって歩くという行為には何の苦労も伴いません。ところが歩く動作のメカニズムについて考えてみると、それがどれだけ複雑なことか気付くはずです。
脚を蹴り出すための筋力、関節の動かし方、バランスの取り方など。歩く姿勢を保つために必要な体の機能が絶妙に調節されているからこそ私たちは上手く歩くことができます。
以前、脳卒中で一命をとりとめた人の本を読んだことがあります。回復の経過を幼児の成長のようだと説明していました。まずベッドで寝返りができるように何度も体を揺らす。体を起こせるようになるために座ったまま前後に体を揺らす。そして歩くためにまずどうやって立つかを学ぶ。脚をどう動かすか、どうしたら安定するか、それを何百回、何千回と繰り返し一つ一つ学び直さなければならないのです。
脳と体の信号がほんの少し途切れただけで、ただ立ち上がって歩く、たったそれだけのことができなくなる。たかが一歩進むだけでも脳が指令を出し体の内側ではたくさんの情報が行き交っているのです。歩くということがこんなにも素晴らしく奇跡的なことなのに、私たちは歩いている時間のほとんどを無意識のうちに過ごし、注意を向けることもないのです。
「歩く」ことで自分を取り戻す方法
「歩く瞑想」には沢山の練習法がありますが一番手軽にできるやり方は、「足の裏と地面とが接するその感覚に意識を向ける」ただそれだけです。歩くときはただ前を見て無言で、一歩一歩の感覚を味わいながら歩きます。
通勤中、仕事や家事の合間、気づいた時いつでも始められます。ただ足の裏に意識を向けてその感覚を感じるだけ。
「感じる」と言っても、何かを探そうと考える必要はありません。大地の上に自分の足跡のスタンプを押していくようなイメージで、「私は今ここにいる」という「しるし」を残しながら歩きます。
私はここにいる、私は存在している
私はここにいる、私は生きている
命は過去や未来にあるものではなく、今この瞬間にあります。今この瞬間に立ち返って一歩を感じることができれば、命は私たちのためにあり、そして私たちもまた命のためにここに存在しているということに気付きます。
人生の中では様々な困難や辛い出来事があります。自分を見失ってしまうこともあるかもしれません。そんな時、この歩く瞑想を実践しているとあなたが自分自身の主であるという事を思い出させてくれます。
はじめは意識を集中するのが難しく感じるかもしれませんが、ほんの1分でも5分でもいいいのです。続けることが大切です。 今この瞬間に存在する自分、一歩一歩の中にある平和を実感してみてください。
出典先:heavensnook.com
私の体験「一つにつながる」
私が歩く瞑想に参加した時はかなりの大人数でした。この全員の集合エネルギーを保つように皆で離れないよう一つになって歩きます。一本の川が流れるかのように、孤立した自分というイメージを切り離していきます。
自分と周りの人との境界線が消えていくと自然とものごとをありのまま感じることができるようになります。今日初めて出会った人たち、なんの繋がりもないけれど、その個別の人々がこの瞬間は内側でつながっています。自分という一人の存在、その集合体がこのコミュニティー全体を作っている。私の一歩が、このコミュニティー全体の一部になっている。静寂の中で聞こえる一歩一歩をしっかりと踏みしめる足音は、確かに今を生きている「命の音」でした。
最後に、歩く瞑想を指導してくださったBr. Phap Dang師の言葉をご紹介します。
「私たちは単なる一滴の水ではありません。皆が集まれば一本の川にも、一つの海にもなれるのです。
あなたは、ただのひとかけらの命ではなく、大きな一つの命なのだと気づいたら自然と幸福感が湧いてきます。」
「歩きながら微笑みます。自分自身や周りのすべての人に。命はとても美しいものだから微笑まないなんて残念なことです。」
さぁ、皆さんはどんな一歩を踏み出しますか?
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